

西郷隆盛は、江戸時代の終わりごろ、今の鹿児島県にあたる薩摩藩のリーダーの一人でした。
当時の日本は、黒船が来たり、外国との貿易が始まったりして、江戸幕府の力が弱まっていました。
西郷さんは、「このままでは日本は外国に負けてしまう」と心配し、幕府を倒して、新しい国をつくる必要があると考えました。これが討幕運動です。
その中心となったのが、薩摩藩と長州藩の同盟で、この同盟でも西郷さんが活躍しました。

AI西郷隆盛
わしは、ふるい幕府のやり方では、日本は外国におくれてしまうと強く感じておった。黒船が来てからというもの、日本は目をさまさねばならん。わしら薩摩と長州が手を組めば、幕府に対抗できる。
新しい時代をつくるためには、戦もさけられんこともある。じゃっどん、日本の未来のためなら、命をかけてもよかと覚悟したんじゃ。
1868年、幕府と新政府の間で「戊辰戦争」という内戦が始まりました。
江戸をめぐる戦いが大きくなれば、多くの町人や市民が命を落としてしまいます。
そこで西郷さんは、幕府の側にいた勝海舟と話し合いをしました。
その結果、江戸城を戦わずに新政府に引きわたすことができたのです。これが「無血開城」とよばれ、戦争による大きな被害をふせぎました。

AI西郷隆盛
わしは、戦(いくさ)をして江戸の町を焼きはらうつもりはなかった。江戸にはたくさんの民がおる。町人も、子どもも、女もおる。無駄に血を流すより、話し合いで平和におさめる道を選びたかった。
勝海舟どんと会うたとき、心からそう思った。敵どうしじゃったが、国を思う心は同じじゃった。江戸城を戦わずに開けさせることができたとき、心からほっとしたもんじゃ。
新しい時代「明治」が始まると、西郷さんは明治新政府の中心人物として活躍します。武士の時代から、市民が中心となる社会へと大きく変わる中で、税金のしくみや軍隊の制度など、たくさんの改革が行われました。
特に、西郷さんはえらい人だけでなく、みんなが国を支えるという考え方を大切にしていました。
その姿勢は、のちの徴兵制度や教育制度にもつながっていきます。

AI西郷隆盛
わしは武士じゃったが、これからの世は、身分に関係なく、すべての人が国のために力を出す時代だと考えておった。百姓も町人も、学び、働き、国をつくる一員になるべきじゃ。
だからこそ、士族だけの時代は終わらせねばならんかった。
つらい思いをする者もおったが、それでも前に進まねばならん。わしのすることが、未来の子どもたちのためになると信じておった。
江戸時代には、戦うのは武士のしごとでした。
しかし西郷さんは、「これからはすべての国民が国をまもるべきだ」と考えました。
そこで、満20歳以上の男子が兵役につく「徴兵令」を出し、国の軍隊をつくるしくみをスタートさせました(1873年)。
この制度によって、日本は外国のように国民全体で国を守る近代的な軍隊を持つことができるようになりました。

AI西郷隆盛
わしは思うたんじゃ。日本を守るのは、武士だけの役目ではないと。これからは、すべての男子が、国のために力を出すべきじゃと。
徴兵令は、みんなには重たい制度に見えるかもしれん。しかし、外国に負けぬ強い国をつくるには、みなが兵となり、心を一つにせねばならん。
その覚悟を、日本中に広げたかったんじゃ。
西郷さんは、明治政府でいろいろな改革を行いましたが、次第にそのやり方に強い不満を持つようになりました。特に、「昔ながらの武士の生き方を大事にしたい」という思いと、新政府の冷たい政治との間で、大きな考えのちがいが出てきました。
1877年、西郷さんはふるさとの鹿児島で西南戦争をおこします。政府軍との戦いにやぶれて、西郷さんは亡くなりますが、さいごまで自分の信じた道をつらぬいたことで、今も多くの人に尊敬されています。

AI西郷隆盛
わしは、明治政府が変わってしまったと感じた。官(お上)ばかりが力を持ち、民の声は届かなくなった。わしが信じとったのは、人の道、武士の心じゃ。
私利私欲でなく、正しさを大事にする国であってほしかった。だからこそ、ふるさと鹿児島に戻り、最後の戦を決意した。わしは負けたが、心はまけておらん。
わしの思いが、いつか伝わると信じちょる。
西郷隆盛は、江戸から明治という日本の大きな変化の時代を生きぬき、新しい国づくりに力をつくした人物です。政治の仕事をしただけでなく、人びとのくらし・教育・国のしくみなど、今の日本のもとになるようなことをたくさん始めた人でもあります。
その一方で、最後は政府とたたかうことになりましたが、それも「まちがっていると思ったことに目をつぶらない」強い正義感からでした。
だからこそ、今でも「西郷さんはすごい」と多くの人に言われているのですね。
| 1828年 | 0歳 | 薩摩藩(今の鹿児島県)で生まれる。 |
|---|---|---|
| 1844年 | 16歳 | 藩の役所で働き始める。まじめで正義感の強い性格だった。 |
| 1854年 | 26歳 | 黒船が来たあとの日本で、外国とのつきあい方を考える動きに関わる。 |
| 1858年 | 30歳 | 藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)を手助けして政治に参加。 |
| 1858年 | 30歳 | 島津斉彬が亡くなり、島に流される。 |
| 1862年 | 34歳 | 薩英戦争で、イギリスと戦うが、その後は仲直りの道をさぐる。 |
| 1864年 | 36歳 | 長州藩と手を組み、幕府をたおす計画に動く。 |
| 1868年 | 40歳 | 明治維新で新しい政府づくりの中心メンバーとして活やく。 |
| 1871年 | 43歳 | 政府の中で役職につくが、西洋への留学(岩倉使節団)に反対して意見が対立。 |
| 1873年 | 45歳 | 政府をやめて鹿児島にもどる。 |
| 1877年 | 49歳 | 西南戦争で政府と戦うが、負けて自害する。 |
| 1898年 | (死後) | 明治政府から名誉(めいよ)を回復され、「国を思う志士」としてたたえられる。 |

【正解】Q1.C、Q2.D、Q3.B、Q4.C、Q5.D