
玉川上水(たまがわじょうすい)は、江戸時代に作られた水路です。この水路は、多摩川の水を江戸の町(現在の東京)まで運ぶために作られました。江戸時代は、たくさんの人が江戸に住むようになったので、飲み水や生活用水が足りなくなり、その問題を解決するために玉川上水が作られました。
玉川上水は約43kmもの長い距離をカバーしています。
江戸時代の技術でこれだけの距離を正確に作ったことには驚きますね。
どのように作ったかというと、地形の高低差を上手に利用して、水が自然に流れるように設計されました。このため水を運ぶのにポンプなどの機械が必要なかったのです。
玉川上水は、主に飲み水や生活用水を江戸の町に運ぶために作られました。
一方、農業用の用水路は田んぼや畑に水を送るために作られることが多いものです。
玉川上水の周りには、たくさんの生き物たちが住んでいます。
例えば、鳥の中では「カワセミ」という美しい青い羽を持つ鳥が有名です。
カワセミは、上水のきれいな水辺で魚を捕まえて生活しています。
カワセミは「清流の宝石」とも呼ばれるとてもきれいな鳥で、この鳥がいるということは川がきれいな証拠とされています。
ほかにもでは「シジュウカラ」や「メジロ」といった、かわいらしい小鳥たちを見ることができます。
水の中には「アユ」や「モツゴ」といった魚もいます。また、春から夏にかけては「ホタル」が飛び交う姿が見られる場所もあります。ホタルが生きられるのは、水がきれいだからです。
玉川上水周辺の草むらには「バッタ」や「カマキリ」などの昆虫もたくさんいます。
玉川上水は、生き物にとって大切な家になっています。
これらの生き物を守るためには、私たちがゴミを捨てず、自然を大切にすることが必要です。
玉川上水の水質を守るためには、さまざまな取り組みが行われています。
上水の周りでは、ゴミが捨てられないように定期的に清掃が行われています。
特にペットボトルやプラスチックごみが流れ込むと、魚や生き物に悪い影響を与えるため、注意が必要です。
専門の機関が水の汚れ具合を調べています。
これにより、水が汚れてきた場合には早めに対策を取ることができます。
水をきれいに保つには、周りの森や草むらを守ることも重要です。
植物があることで土壌が安定し、水が濁りにくくなります。
私たち一人ひとりも、ゴミを捨てないことや水を汚さないことを心がけることで、水質を守る手助けができます。
(玉川兄弟をたたえる記念碑)現在、東京都には玉川兄弟をたたえる記念碑があります。
玉川兄弟は、多摩川近くの農民だった2人の兄弟です。
兄 | 玉川庄右衛門 | たまがわしょうえもん |
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弟 | 玉川清右衛門 | たまがわせいえもん |
本名は小山田庄右衛門と小山田清右衛門と言います。姓は「玉川」ではありませんが、彼らの功績から「玉川兄弟」と呼ばれるようになりました。
1653年、江戸の町は人口が増え、飲み水や生活用水が足りなくなる問題がありました。
当時の江戸幕府は、多摩川の水を江戸の町に引く水路を作る計画を立てました。
しかし、長い距離の水路を作るのは非常に難しく、他の工事請負人は引き受けたがりませんでした。
そこで、多摩川近くの土地で農業をしていた玉川兄弟が工事を引き受けたのです。
玉川上水の工事には、いくつものむずしい条件がありましたが、玉川兄弟は数々の工夫でその困難を乗り越えました。
長い距離 | 水路は多摩川の羽村取水堰(東京都羽村市)から江戸の四谷(現在の新宿区)まで、約43kmもの長さが必要でした。 |
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短い工期 | 工事はたった8か月という短い期間で終わらせる必要がありました。 |
高低差を活用 | 水が自然に流れるように、土地の高低差を計算しながら水路を掘る必要がありました。 |
工夫と努力 | 玉川兄弟は、手作業でスコップやクワを使い、周りの農民を集めて工事を進めました。水がうまく流れるように、土地の形や角度を丁寧に調整しました。 |
さらに、大雨などの困難もありましたが、兄弟は諦めずに工事を完成させました。
1653年、玉川上水は完成しました。この水路のおかげで、江戸の人々は清潔で安全な水を手に入れられるようになり、生活が大きく改善されました。
幕府もこの功績を認め、兄弟にご褒美を与えました。しかし、玉川兄弟がこの工事で得た報酬はそれほど多くなく、自分たちの生活は贅沢になることはありませんでした。
玉川兄弟は工事を完成させた後も、多摩川の水を江戸まで送り続けるために、水路の管理や修理を続けました。しかし、彼らの名前や功績は長い間忘れられてしまいました。
江戸時代の後半になり、玉川上水の重要性が再評価されたことで、「玉川兄弟」の名前が歴史に刻まれるようになりました。