


渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、日本のとても有名な実業家(じつぎょうか)で、「日本の資本主義(しほんしゅぎ)の父」とも呼ばれています。
資本主義(しほんしゅぎ)とは、みんなが自由に物を買ったり売ったりすることができる仕組みのことです。反対に国や政府が物を売ったり買ったりする仕組みを社会主義(しゃかいしゅぎ)と言います。日本は資本主義の国で、その父と言われているのが渋沢栄一です。
カンタンに言うと、たくさんの会社を作ったり、助けたりして、日本の経済(けいざい)を発展させた人です。
例えば、渋沢栄一は日本で初めての銀行「第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)」を作りました。それから、保険会社や鉄道会社、ガス会社など、今でもみんなが利用しているような会社をいくつも設立しました。
「会社をたくさん作った」と聞くと、「金儲けばかり考えていた人だな」と思うかもしれませんが、それは間違いです。
渋沢栄一は、みんなが幸せになるようにビジネスをすることが大切だと考えていました。彼は「道徳(どうとく)と経済(けいざい)は一体(いったい)」という考え方を広めて、ただお金を儲けるだけでなく、社会のためになることを大事にしました。
だから、渋沢栄一は日本の経済を作り上げた偉大な人であり、多くの人に尊敬されています。
渋沢栄一が作った会社はいまも続いている会社がたくさんあります。
| 渋沢栄一が作った会社 | 設立年 | 現在の会社 |
|---|---|---|
| 第一国立銀行 | 1873年 | 現在のみずほ銀行の一部 |
| 東京瓦斯(東京ガス) | 1885年 | 現在も東京ガス株式会社として存在 |
| 王子製紙 | 1873年 | 現在の王子ホールディングス株式会社 |
| 東京海上火災保険 | 1879年 | 現在の東京海上日動火災保険株式会社 |
| 帝国ホテル | 1887年 | 現在も帝国ホテルとして営業中 |
| 清水建設 | 1873年 | 現在も清水建設株式会社として存在 |
| サッポロビール | 1876年 | 現在のサッポロホールディングス株式会社 |
| 日本郵船 | 1885年 | 現在も日本郵船株式会社として存在 |
| 日清製粉 | 1900年 | 現在の日清製粉グループ本社株式会社 |
| 日本製鉄 | 1901年 | 現在の日本製鉄株式会社 |
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1840 | 2月13日、武蔵国(現在の埼玉県深谷市)に生まれる |
| 1859 | 徳川幕府の一員としてパリ万国博覧会に参加 |
| 1867 | パリでナポレオン3世と面会し、フランスの先進的な産業を学ぶ |
| 1868 | 帰国し、新政府に参加。明治維新後、政府の財政顧問として働く |
| 1873 | 第一国立銀行を設立、日本初の銀行業務を開始 |
| 1878 | 東京商法会議所(現在の東京商工会議所)を設立 |
| 1881 | 王子製紙を設立、製紙業の発展に寄与 |
| 1882 | 東京株式取引所(現在の東京証券取引所)を設立 |
| 1885 | 東京瓦斯(現在の東京ガス)を設立 |
| 1887 | 帝国ホテルを設立、外国人のための宿泊施設を提供 |
| 1901 | 日本製鉄を設立、製鉄業の基盤を築く |
| 1909 | 日本郵船の設立に関わり、海運業の発展を推進 |
| 1911 | 大阪商工会議所の会頭に就任 |
| 1922 | 渋沢栄一財団を設立、教育や慈善活動に尽力 |
| 1931 | 71歳で実業界を引退 |
| 1931 | 11月11日、91歳で死去 |
渋沢栄一が生まれたのは江戸時代です。このため、若い頃は武士としての生活に憧れていました。しかし、1867年にパリ万国博覧会に参加するためにヨーロッパを訪れ、西洋の進んだ技術や産業を目の当たりにしました。このとき、渋沢は日本も経済や産業の面で進化する必要があると強く感じ、帰国後に実業界に転身する決意を固めました。
1873年に日本初の銀行である第一国立銀行を設立したときに、渋沢栄一は個人的に多額の資金を提供しました。失敗すれば自らの資産を失うことになる決断でしたが、この行動が銀行業の基盤を築く上で非常に重要な役割を果たしました。
渋沢栄一は「論語と算盤」という著書の中で、道徳と経済を両立させることの重要性を説きました。彼は、ビジネスにおいても倫理観を持つことが大切だと強調しました。この考え方は、彼が設立した企業や関わったプロジェクトにおいても貫かれており、多くの実業家や後継者に影響を与えました。
渋沢栄一は、ビジネスだけでなく、教育や福祉の分野でも多くの貢献をしました。例えば、彼は「渋沢栄一財団」を設立し、教育や医療、福祉活動に資金を提供しました。彼の財団は、社会全体の幸福と発展を目指すものであり、多くの人々に恩恵をもたらしました。
渋沢栄一は、国際的な視野を持ち、多くの外国人と交流しました。特に、アメリカやヨーロッパの企業家や政治家とのネットワークを築き、日本の産業や技術の発展に役立てました。彼の国際的な視野と交流は、日本の近代化に大きく貢献しました。
渋沢栄一が書いた有名な本には、「論語と算盤(ろんごとそろばん)」があります。この本は、渋沢栄一が実業家としての経験を通じて得た哲学やビジネスの考え方をまとめたもので、現在でも多くの人々に読まれています。
「論語と算盤」は、道徳(論語)と経済(算盤)を調和させることの重要性を説いています。渋沢栄一は、道徳的な価値観と経済的な利益を両立させることで、持続可能なビジネスと社会の発展が可能になると考えていました(今でいう「SDGs」的な考え方を先取りしていたというわけです)。
渋沢栄一は、ビジネスにおいて道徳的な行動を取ることが、長期的な成功につながると主張しました。彼は、利己的な利益追求ではなく、社会全体の利益を考えることが重要だと述べています。
また、ビジネスにおいて正直であること、そして信頼を築くことが大切だと説いています。渋沢は、信頼関係がビジネスの基盤であり、これがないと持続的な成長は難しいと考えていました。
労働の尊重
さらに、渋沢は、労働の価値を尊重し、労働者に対する公平な待遇が企業の成功に不可欠であると述べています。労働者の満足度が高いと、企業全体の生産性も向上すると信じていました。
実業家では、 孫正義(そん まさよし)、 稲盛和夫(いなもり かずお)、松下幸之助(まつした こうのすけ)、実業家以外でも、村上春樹(むらかみ はるき)、野口聡一(のぐち そういち)、池上彰(いけがみ あきら)、大谷翔平(おおたに しょうへい)も「論語と算盤」の影響を受けたと言われています。
渋沢栄一と同時代に活躍したこれらの人物たちは、それぞれの分野で日本の近代化や発展に大きく寄与しました。彼らの業績は、渋沢栄一の活動とも密接に関連しており、彼の時代背景を理解する上で重要な人物たちです。
| 名前 | 生年-没年 | 分野 | 業績 |
|---|---|---|---|
| 西郷隆盛(さいごう たかもり) | 1828 - 1877 | 政治・軍事 | 明治維新の指導者で、西南戦争を起こした薩摩藩士。 |
| 大久保利通(おおくぼ としみち) | 1830 - 1878 | 政治 | 明治維新の中心人物で、初代内務卿として近代国家の基礎を築いた。 |
| 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち) | 1835 - 1901 | 学問・教育 | 慶應義塾大学の創設者で、「学問のすゝめ」の著者。 |
| 伊藤博文(いとう ひろぶみ) | 1841 - 1909 | 政治 | 日本初の内閣総理大臣で、憲法制定に尽力した。 |
| 大隈重信(おおくま しげのぶ) | 1838 - 1922 | 政治・教育 | 早稲田大学の創設者で、内閣総理大臣を務めた。 |
| 高橋是清(たかはし これきよ) | 1854 - 1936 | 政治・経済 | 内閣総理大臣や大蔵大臣を歴任し、経済政策を推進した。 |
| 岩崎弥太郎(いわさき やたろう) | 1835 - 1885 | 実業 | 三菱財閥の創設者で、日本の近代産業の発展に貢献した。 |
| 新渡戸稲造(にとべ いなぞう) | 1862 - 1933 | 学問・教育・外交 | 「武士道」の著者で、国際連盟の事務次長も務めた。 |
| 野口英世(のぐち ひでよ) | 1876 - 1928 | 医学 | 細菌学者として黄熱病研究に貢献し、国際的に評価された。 |
| 北里柴三郎(きたさと しばさぶろう) | 1853 - 1931 | 医学 | 破傷風やペストの研究で有名な細菌学者。 |
新一万円札の肖像になる渋沢栄一と現一万円札の肖像になっている福沢諭吉をくらべてみました。
| 項目 | 渋沢栄一 | 福沢諭吉 |
|---|---|---|
| 生年-没年 | 1840年2月13日 - 1931年11月11日 | 1835年1月10日 - 1901年2月3日 |
| 出身地 | 武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市) | 豊前国中津(現在の大分県中津市) |
| 主な活動分野 | 実業、金融、教育、慈善活動 | 教育、学問、著述 |
| 主な業績 | 第一国立銀行(現在のみずほ銀行の一部)の設立、東京商工会議所の設立、数多くの企業の設立や支援 | 慶應義塾(現在の慶應義塾大学)の創設、「学問のすゝめ」の執筆 |
| 主要な著作 | 「論語と算盤」 | 「学問のすゝめ」、「文明論之概略」、「福翁自伝」 |
| 思想・哲学 | 道徳と経済の両立(論語と算盤)、社会貢献 | 実学重視、独立自尊、啓蒙思想 |
| 教育に対する貢献 | 一橋大学の前身である商法講習所の設立 | 慶應義塾大学の設立、啓蒙活動 |
| 国際的な活動 | ヨーロッパ視察、国際交流の推進 | アメリカ・ヨーロッパ留学、国際的な著述活動 |
| その他の貢献 | 渋沢栄一財団の設立、社会福祉活動 | 自由民権運動への貢献、民間啓蒙活動 |
| 人格的評価 | 誠実で道徳的、社会全体の幸福を重視 | 独立心旺盛で実践的、個人の自由と自立を強調 |
| 死後の評価 | 日本の資本主義の父、企業家・慈善家として尊敬される | 日本の啓蒙思想家、教育者として広く尊敬される |
渋沢栄一は、主に実業界での活躍が目立ち、数多くの企業を設立し、日本の経済基盤を築く上で重要な役割を果たしました。彼の思想「論語と算盤」は、道徳と経済の両立を説き、多くの後継者に影響を与えました。
福沢諭吉は、教育者・啓蒙家として、日本の近代化における思想的基盤を提供しました。彼の著作「学問のすゝめ」は多くの日本人に影響を与え、慶應義塾大学の創設を通じて教育の普及に努めました。
両者は異なる分野で活躍しましたが、共に日本の近代化と発展に多大な貢献をした点で共通しています。それぞれの業績と思想は、現在の日本社会にも深く根付いています。