
ルイ・ブライユは、目が見えない人が本を読めるようにするために「点字(てんじ)」を作りました。点字とは、小さなポチポチ(点)を使って、指でさわって読む特別な文字です。
ルイは子どものころにけがをして目が見えなくなったのですが、本を読んだり、勉強したりしたいという強い気持ちがありました。そこで、誰でも簡単に読める文字を考えたのです。
彼が作った点字は、いまでも世界中で使われています。ルイブライユは目が見えない人たちが世界とつながる大きな手助けをしたすごい人なんですね!
ルイ・ブライユが作った点字は、それまでの点字とくらべて「かんたんで、早く読めるようになった」のが大きなちがいです。
ルイが子どものころ、目が見えない人が使える本には、文字が浮き出していました。
これを指でなぞって読んでいましたが、2つの大きな問題がありました。
そこで、ルイブライユは、「指でさわるだけで早くわかる仕組み」を考えました。
それが6つの点を組み合わせた点字です。この点字には、3つの工夫があります。
ルイの点字は、「わかりやすい仕組み」で作られていて、目が見えない人でもすぐに覚えて使えるのがポイントでした。この工夫のおかげで、世界中で使われるようになったんです!
それまでの点字は読むのがむずかしく、使いにくかったけれど、ルイの点字は「簡単で早く読める」から、多くの人が便利に使えるようになりました!
1809年 | フランスの小さな村、クーヴレに生まれる。お父さんは革職人。 |
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1812年 | (3歳)お父さんの仕事場で遊んでいるときに目をけがし、両目が見えなくなる。 |
1819年 | (10歳)パリの視覚障害者のための王立盲学校に入学。学校で本を読むための「浮き出し文字」を学ぶが、読むのに時間がかかることに不満を感じる。 |
1821年 | (12歳)フランス軍の「夜目暗号(ナイト・コード)」に触れ、自分で改良を始める。 |
1824年 | (15歳)点字の原型を完成させる。6つの点を組み合わせて文字を表す仕組みを作り、アルファベットや数字を表現できるようになる。 |
1827年 | (18歳)点字の改良を続け、さらに音楽記号まで表せるように工夫する。 |
1829年 | (20歳)点字の仕組みをまとめた本「点字法の概要」を発表。しかし、当時はあまり注目されず、学校でも浮き出し文字が使われ続ける。 |
1833年 | (24歳)王立盲学校で教師になる。自分の点字を授業で使い、生徒たちに教え始める。 |
1835年 | (26歳)結核を発症し、体調が悪化し始める。それでも点字の普及に力を注ぐ。 |
1852年 | (43歳)結核により亡くなる。点字の普及を見届けることはできなかった。 |
ルイブライユの死後1854年には、ルイの点字がフランスで正式に採用され、目が見えない人のための標準的な文字として広がり始めました。また死後100年となった1952年にはルイブライユの功績をたたえ、彼の遺体がフランスの英雄たちが眠るパンテオンに移されました。
ルイが点字を作るヒントになったのは、フランス軍が使っていた「夜目暗号(ナイト・コード)」という仕組みでした。これは、暗い場所でも兵士たちが触るだけでメッセージを読めるように、点を組み合わせた文字を使うものでした。
ルイがこの暗号を知ったとき、「これなら目が見えない人でも使える!」と思いつき、自分なりに改良して、6つの点だけでアルファベットや数字を表す新しい点字を作りました。この発想力と行動力がルイのすごいところです。
ルイは10代のころに点字を考え出しましたが、そこからさらに何年もかけて改良を続けました。指で触りやすい形や、覚えやすい点の配置を考えたり、音楽の楽譜まで表せる点字を作ったりしました。
彼が自分の点字にどれだけ自信を持っていたかを示すエピソードがあります。ルイが教師になったとき、生徒たちに「目で見る文字ではなく、自分で作った点字で勉強を教えた」といいます。生徒たちはすぐに点字を覚えて使えるようになり、点字の便利さが広まりました。
ルイの点字は最初、なかなか広まりませんでした。多くの大人たちは、「浮き出した文字のほうがいい」と考え、ルイの新しい点字を受け入れようとしませんでした。それでもルイはあきらめず、自分の考えを信じ続けました。
とくに感動的なのは、ルイが病気で体が弱くなっても、点字の本を書き続けたことです。自分が点字を広めるためにできることを最後まで続けた姿に、多くの人が感銘を受けました。