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「 ルイ・ブライユ 」の検索結果
  • ルイ・ブライユってどんな人だったの?
    ルイ・ブライユってどんな人?点字の仕組みを考えたルイ・ブライユがどんな人だったのかについて紹介しています。1809年生まれのフランス人ルイ・ブライユは1809年に生まれたフランス人です。ちなみに誕生日は1月4日。「ルイ」が名前で、「ブライユ」が苗字。苗字というのは山田太郎であれば、「山田」のほうのこと。ちなみに「ルイ」というのはフランスでは多い名前です。ルイ14世という王様が有名ですね。カバンなどで世界的に有名なブランドの「ルイ・ヴィトン」も、創設者の名前「ルイ・ヴィトン」から命名されたものです。ルイ・ブライユが生まれたのは日本では江戸時代ルイ・ブライユが生まれた1809年というのは日本では江戸時代。徳川第11代将軍家斉のときになります。いまから200年以上前なので、ずいぶん昔ですよね。二宮尊徳(金次郎)が生きていた時代(1787年から1856年)と重なります。小学校に二宮尊徳の銅像がある人は見てみると、どんな時代かがわかると思います。3歳で失明してしまったルイ・ブライユルイ・ブライユの父親は馬具屋を営んでいました。両親がいないときに職場で遊んでいた3歳のルイ・ブライユは誤って刃物で目を突いてしまいます。このことが原因で片目を失明。5歳のときには、感染症により両目を失明しました。目が見えなくなってしまったルイ・ブライユは盲学校に通います。そこで、点字に出会います。盲学校(もうがっこう)とは、目が不自由ね人が通う学校です。その当時、使われていた点字はシャルル・バルビエという軍人が考えたもので、12個の点を使って文字を表わすものでした。新しい点字のしくみを作る12個も点を使う点字はむずかしかったこともあり、ルイ・ブライユはこれをもっと簡単なものに出来ないかと考えました。そこで思いついたのが6個の点を使う方法。6個の点を使ってアルファベットや数字を表わす新しい点字の仕組みを完成させました。英語になったブライユ点字のことを英語ではブライユ(braille)と言います。これはルイ・ブライユの名前から付けられました。自分の名前が英語になって、それが何かを表わす言葉に使われるってスゴイことですよね。
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  • ルイ・ブライユの人生を年表で確認しよう
    ルイ・ブライユの人生を年表で確認してみよう点字を発明したルイ・ブライユの人生を年表形式でまとめました。目が見えなくなったのは何歳のときか?何歳のときに点字を発明したのか?どんな仕事をしていたのか?下記にある年表でくわしく確認してみましょう。ルイ・ブライユの人生西暦年齢できごと1809年0歳1月4日フランスで誕生1812年3歳片目を失明1814年5歳両目が見えなくなる1816年7歳クーブレの学校に入る1819年10歳パリの王立盲学校に入る1821年12歳バルビエのソノグラフィーを知る1824年15歳ソノグラフィーを改良して6点点字を作る1826年17歳代数、地理、文法を教える1828年19歳王立盲学校の正式な先生になり、文法、地理。算数、音楽を教える。楽譜を書く方法を考えはじめる。1829年20歳「点を使ってことば、楽譜、かんたんな歌を書く方法―盲人のために作られた盲人が使う本」を出版1833年24歳教会のオルガン奏者になる1835年26歳肺結核の徴候を示す1847年38歳フーコーと協力してブライユタイプライターを完成させる1839年30歳点字を印刷する機械の開発を始める1843年34歳健康が悪化→クーブレ村で6ヶ月療養1852年43歳1月6日病気のため死去3歳のときに片目が見えなくなるルイ・ブライユは生まれつき目が悪かったわけではありません。3歳のときにお父さんの仕事場でけがをしてしまい、片方の目が見えなくなってしまいます。昔は治療法もなかったため、感染症から5歳になるころには、もう片方の目も見えなくなってしまいました。10歳で親元を離れて都会の学校にルイは村の学校に目の見える子と一緒に通っていましたが、10歳になったときパリにある目の見えない子たのための学校(王立盲学校)に通うことになります。クーブレ村から王立盲学校があるパリまでは40キロ以上も離れています。このためルイは寄宿舎でほかの子たちと一緒に寝泊まりして学校生活を送ることとなりました。それが10歳のとき。親元を離れて、さみしかったかもしれませんね。15歳で点字を作るパリの王立盲学校に入ったルイ・ブライユは、そこで目の見えない人たちのための文字を知ります。バルビエという軍人が作ったソノグラフィーというものです。このソノグラフィーを改良して、使いやすくしたのがルイ・ブライユの点字です。ルイが15歳のときに作ったものです。目の見えない人たちのあいだでは使いやすいと評判だったのですが、フランス政府がルイの点字を正式に認めるのは、ルイが亡くなってからとなりました。誕生日は?ルイ・ブライユの誕生日は1809年1月4日。同じ年に生まれた人にはアメリカの大統領になったエイブラハム・リンカーンがいます。クーブレ村ルイ・ブライユが生まれたクーブレ村はディズニーランド・パリの近くにある村です。ルイ・ブライユは何人兄弟?ルイには2人の姉と1人の兄がいました。末っ子だったルイは家族みんなから可愛がられていました。職業は?ルイは自分が勉強した学校で先生となり、算数や地理、音楽などを教えました。音楽の才能もあったルイルイには音楽の才能もありました。学校でのピアノの授業が得意でしたし、大人になってからはオルガン奏者として教会でオルガンも弾いていました。ルイ・ブライユ通りブライユ家があった通りはシュマン・デ・ビュットと呼ばれていましたが、ルイが点字を発明して、世界的に有名になったことから、ルイ・ブライユ通りと名前が変わりました。
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  • ルイ・ブライユが発明した点字の特徴は?
    ルイ・ブライユが発明した点字の特徴は?ルイ・ブライユが点字を発明する前にも目の見えない人向けの文字はありました。そうした文字と、ブライユが発明した点字の違いは何でしょうか?文字を浮かび上がらせる凸字(とつじ)ルイ・ブライユの点字の前に使われていたのはアルファベットの文字を本に浮かび上がらせる凸字(とつじ)というものです。ルイも王立盲学校で、この凸字の本に出会いました。目が見えない人でも本を読むことができる凸字にルイは感動しましたが、不便なところも感じていました。凸字の不便なところ一文字ずつ指で確認するのに時間がかかる本を早く読むことができない印刷するのが大変で本の種類が少ない凸字のほかには、ソノグラフィーというものもありました。これはフランスの軍人のシャルル・バルビエという人が考えたものです。ソノグラフィーは夜でも戦場で兵士たちが暗号を伝えられるように作られたもので、点と線で文字を表わすものでした。浮かび上がらせたアルファベットを指でなぞるよりも、点と線だけのほうがわかりやすかったのです。ルイもこのバルビエの点字に感動しました。バルビエの点字を改良したのがルイ・ブライユの点字凸字よりも読みやすくて好評だったバルビエの点字(ソノグラフィー)にも問題点がいくつかありました。そのひとつは12個もの点を必要としたことです。12個の点だと指先で一度で触ることができません。一度で触ることができれば、もっと早く文字を読めるのに!ルイはそう考えました。また、数字や句読点(「。」や「、」のこと)もありませんでした。そこで、バルビエの点字を改良したのがルイ・ブライユです。ブライユの点字は6点だけルイ・ブライユは6つの点だけで文字を表わす方法を考えました。6つの点だけでも全部で64通りの組み合わせがあります。アルファベットは全部で26文字。6つの点だけですべての文字を表わすことができたのです。また、これなら指先で一度触れるだけで6つの点がわかるので、バルビエの点字よりもずっと早く読むことができるようになりました。
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  • ルイブライユが生まれた国について調べよう
    ルイ・ブライユが生まれた国について調べようルイ・ブライユが生まれたのはフランスです。このフランスがどんな国か知っていますか?「サッカーが強い」ぐらいのイメージしかないかもしれませんね。調べてみましょう。フランスの特徴フランスはヨーロッパ大陸にある国のひとつです。地図で赤くなっているところがフランスです。国土面積は約54万平方キロメートル。日本の国土面積が約38万平方キロメートルなので、日本の約1.4倍の広さです。人口は約6,600万人。こちらは日本の半分ぐらいですね。フランスの首都はパリ。ルイブライユもここにある学校に通っていました。パリには世界的に有名なルーヴル美術館などがあり世界各国から観光客が集まってくる国際的な都市です。ディズニーランド・パリもあります。日本人が行きたい海外旅行先としても人気になっています。フランスと言えば…フランスと言えば、最初にフランスパンを思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。フランス料理は世界三大料理のひとつです。あと2つがどこか分かりますか?答えは、中華料理とトルコ料理です。フランス料理はレストランで大人が食べるものというイメージがあるかもしれませんが、学校の給食でも出ることがありますよ。例えば、ポトフ。ポトフはフランスの家庭料理のひとつです。きっとルイ・ブライユも食べたことがあるはずです。今度、給食に出たときはフランスのことを思い出してみてください。
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