


小学校の歴史の授業や、北海道への家族旅行などで名前を聞く「五稜郭(ごりょうかく)」。
写真を見ると、きれいな「星の形」をしていて、日本にある他のお城(江戸城や大阪城など)とはぜんぜん違う形をしていますよね。
「どうしてこんな不思議な形をしているの?」「ここで昔、どんなことがあったの?」と気になっている小学生も多いのではないでしょうか。
この記事では、五稜郭の星の形のヒミツや幕末(ばくまつ)の歴史をわかりやすく解説します!
さらに、歴史の自由研究で先生に「よく調べられているね!」とほめられる「まとめ方3つのコツ」も紹介します。この記事を読めば、昔のサムライたちの熱い歴史を感じながら、素晴らしいレポートがあっという間に作れますよ!
まずは、五稜郭がどこにあって、なぜあんなに不思議な形をしているのか、その「形」のヒミツから探っていきましょう。
五稜郭は、北海道の南のほうにある函館市(はこだてし)という町にあります。
「郭(かく)」という漢字には「お城」や「とりで」という意味があり、五稜郭は今から約160年ほど前に作られた大きなお城なのです。
今は「五稜郭公園」としてみんなが遊べる場所になっていて、春になるとお堀(ほり)のまわりに約1,500本もの桜が咲く、とってもきれいな観光スポットなんですよ。となりに建っている高い「五稜郭タワー」にのぼると、星の形を上からくっきりと見ることができます。
五稜郭の一番のヒミツは、なんといってもあの「星の形」です。
「五稜(ごりょう)」とは、「5つの角がある」という意味です。
日本のお城といえば、四角い石垣(いしがき)の上に高くそびえ立つ天守閣(てんしゅかく)をイメージしますよね。でも、五稜郭はヨーロッパ(フランスなど)の新しいお城の作り方をマネして作られました。
星の形にした最大の理由は、「敵を攻撃するときの死角(*1)をなくすため」です。
*1…死角(しかく:見えない場所)
四角いお城だと、角のところに敵が隠れやすくなります。しかし、星の形のようにトゲトゲが出っぱっていると、攻めてきた敵をいろいろな方向から大砲(たいほう)や鉄砲(てっぽう)でドカン!と狙い撃ちできるのです。五稜郭は、敵から守るのにとっても強い形をしたスーパーお城だったんですね。
では、なぜ北海道にヨーロッパのような星の形のお城を作る必要があったのでしょうか?
そこには、歴史の教科書でおなじみの「あの事件」が関係しています。
江戸時代の終わりごろ、アメリカからペリーという人が乗った「黒船(くろふね)」が日本にやってきて、「日本も外国と貿易(ぼうえき)をしなさい!」とせまりました。
これをきっかけに、江戸幕府(えどばくふ:当時の日本の政府)は、函館の港を外国の船が使えるように開くことになりました。しかし、「もし外国の人が函館の町で暴れたらどうしよう」「外国の軍艦(ぐんかん)が攻めてきたら守らなきゃ!」と心配になった幕府は、町と港を守るための強くて新しいお城を作ることにしたのです。
この新しいお城の設計(デザイン)を任されたのが、武田斐三郎(たけだあやさぶろう)というすごい先生です。彼は「蘭学者(らんがくしゃ)」といって、オランダ語などの外国の言葉や外国の進んだ学問を勉強している頭のいい人でした。
日本にはまだ星の形のお城を作ったことがある大工さんがいなかったので、斐三郎は外国の本を一生懸命に読み解いて、見よう見まねで作り始めました。北海道の寒い冬や、お金が足りなくなるトラブルを乗り越えて、なんと7年もの時間をかけて、ついに五稜郭を完成させたのです!
外国から守るために作った五稜郭ですが、実は外国の軍隊と戦うことは一度もありませんでした。その代わり、日本の歴史を大きく変える「サムライたちの最後の戦い」の舞台となってしまいます。
五稜郭が完成した数年後、日本は「江戸時代」から「明治時代」へと新しく生まれ変わろうとしていました。
このとき、「新しい国を作ろうとする人たち(新政府軍)」と、「今まで通り幕府の武士として生きたい人たち(旧幕府軍)」の間で、日本中で大きな戦争が起きてしまいました。これを「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」と言います。
負け続けてしまった旧幕府軍(昔の武士たち)は、どんどん北へ逃げていき、最後にたどり着いたのがこの五稜郭でした。ここで起きた最後のたたかいを「箱館戦争(はこだてせんそう)」と呼びます。
この箱館戦争で、旧幕府軍として最後まで戦った有名な人物がいます。
それが、新選組(しんせんぐみ)の副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)です。
新選組は、幕府のために戦う強くてかっこいい剣の達人のグループでした。土方歳三は、五稜郭を拠点(きょてん)にして、新しい時代の軍隊に立ち向かいました。しかし、新政府軍の力はとても強く、土方歳三はこの函館の地で銃の弾に当たって命を落としてしまいます。
土方歳三が亡くなったあと、五稜郭に立てこもっていた旧幕府軍は降参(こうさん)し、ここで長かった「サムライの時代」が完全に終わったのです。
五稜郭が「星の形をしている理由」や、「サムライの時代が終わる最後の舞台だったこと」がわかりましたね!それでは、この歴史を学校のレポートや自由研究にまとめるときの、とっておきの「3つのコツ」を紹介します。
言葉だけで「死角(見えない場所)をなくすため」と書くよりも、星の形のイラストを描いて説明すると、先生や友達に「おおっ!」と驚かれるわかりやすいレポートになります。
画用紙に五稜郭の星の形(五芒星:ごぼうせい)を大きく描き、星のトゲトゲの場所から外側に向かって「大砲の弾が飛んでいく矢印(→)」をたくさん描いてみましょう。「どの方向から敵が来ても、必ず攻撃できる!」ということが、パッと見てすぐに伝わりますよ。
歴史のレポートには、「いつ、何が起きたか」をまとめる年表が欠かせません。
次のような順番で、年代と出来事を矢印でつないでみましょう。
| 1853年 | ペリーの黒船がやってくる |
|---|---|
| 1854年 | 函館の港が開かれる |
| 1857年 | 武田斐三郎が五稜郭を作り始める |
| 1864年 | 7年かかって五稜郭が完成! |
| 1868年 | 旧幕府軍が五稜郭にやってくる |
| 1869年 | 箱館戦争が終わる(サムライの時代の終わり) |
インターネットや本に書いてあることをそのまま写すだけでは、もったいないです!
レポートの最後には、必ず「まとめ・自分の考え」を書きましょう。
このように、歴史上の人物の気持ちになって考えたことを書くと、あなたにしか書けない最高の調べ学習になりますよ。
「五稜郭」は、ただの星の形をしたきれいな公園ではありません。
日本が外国に負けないように一生懸命に作ったお城であり、そして「刀を持ったサムライの時代から、近代的な日本の時代へとバトンタッチをした場所」という、とても大切な歴史が詰まっています。
むずかしく考えすぎず、「星の形ってかっこいいな!」「新選組の土方歳三ってどんな人だったのかな?」と、自分が面白いと思ったところから調べてみるのが一番です。
イラストを描いたり、年表を作ったりするコツを使って、ぜひあなただけの特別な「五稜郭の歴史レポート」を完成させてください!